管理人プロフィール

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はじめましての方も、そうでない方も、こんにちは。

「FruitsBasket」管理人のにゃんこです。

このサイトは、管理人にゃんこ一家のエピソードを中心に、普段私の思うことや紹介したいと思うものについて書いています。

主に育児日記的な内容が多いですが、時々使ってみてよかったものやモニターしたもののレビューを書いていることがあります。

このサイトについて詳しいことはこちら

管理人・にゃんこはこんな人

nyanko1960_20110510 (作成:igoso

誕生日:1971年4月30日

血液型:A型

出身地:大阪市内。

居住地:奈良県。

性格:いろんなことをやりたがる。ひとつのことにハマると凝る。そのくせあきっぽい。けっこう短気。どっちかというと明るいほう。おおらかな時もあるが、ヘンなとこでくよくよする。落ち込んでもすぐ立ち直る。

趣味:お菓子を作ること。今どきの音楽をチェックして、家事しながら歌うこと♪モニター商品などを料理やお菓子にアレンジしてみること。最近ドハマリは歴史。世界史の近現代と幕末以降が好き。

家族:同い年の夫。2005年生まれの男の子ぷちぐり。2009年生まれの男の子みにぐり。2011年生まれ女の子まめにゃん。5人家族。ほか熱帯魚とエビがいっぱい。

産まれてから今まで

1971年4月。大阪市で生まれました。一人っ子。 両親は某チェーンの居酒屋の一店舗を経営していました。

■幼少期(生後~小学3年初めぐらいまで)

両親の都合で、遊郭の跡地のど真ん中で幼少期を過ごす。お店の暇な時間に歌って踊ったりする明るい子だった。

両親が忙しかったため、普段の生活で遊んでもらったという記憶は少ない。

けれど、月に3日という少ない休日を、私を遊園地に連れて行ってくれたりなどしてくれていたことや、誕生日など大事な日には母お手製の万国旗がたったお子様ランチを作ってもらったり、仕事の仕込の合間にホットケーキミックスでドーナツを作ってくれたりした思い出があります(今思えばホットケーキミックスでアレンジという、時代の走りをやっていたのか母は(笑))。

春休みや夏休みなどの長期の休みには、父の実家である奈良県の某田舎で過ごすことが多かった。祖母・伯父・伯母・いとこたちに本当の娘のようにかわいがられていた。

<当時のハマりもの>

リカちゃん人形。パピーちゃんと言うお菓子のおまけ。ピンクレディー。マンガ「うわさの姫子」

■小学校3年~6年

小学校3年の夏、両親が離婚。 お店は閉め、父は地元に帰り、母と私はそのまま大阪に残って暮らし始める。

ただ、店のある家にはもう住めなかったので校区内の小さな文化住宅に引っ越す。

地域的にあまり環境の良いところではなく、近所に住むいわゆるガラの悪い子たちに虐げられるようになる。 →同様に虐げられていた近所の子と友達になり、その子とは今も親友に。さらにその子の幼なじみの学年が上の友達とも仲良くなり、気づけばトリオを結成していた。

<当時のハマりもの>

マンガ「あさりちゃん」「はいからさんが通る」シブがき隊のフックンが好きでした(*^^*)

■中学時代

お菓子作りにはハマった。でも、家にオーブンがないのでケーキが焼けず。 そんな話を当時の同級生にしたところ、家庭科クラブに誘われた。そこでは、顧問の先生にお菓子作りのイロハを実地で教えてもらう機会に恵まれた。この時の経験が、今の趣味に生かされています。クラブ活動、やっててよかった!

3年になって受験勉強をはじめる。模擬試験の成績も上々で、毎月の実力テストの結果が楽しみだった日々。 ところが、母より「いい高校より、女の子なんだからそこそこの公立の学校に行ってくれたらそれでいい。お金がかかるのは困る」と言われ、ショック。

当時大阪は学区制で選べる高校の選択肢が少なく、余裕で合格圏内だった某公立高校に合格、入学。

<当時のハマりもの>

J-POP大好きっ子になっていました。当時、「ミュージックトマト」という番組でミュージシャンのPVをしょっちゅうチェック。

よく聴いていたのはレベッカ、TM NETWORK、大江千里など。

また、コバルト文庫の小説にハマり、氷室冴子「雑居時代」「なぎさボーイ」「クララ白書」が好きでした。

■高校時代

部活は好きな曲をお昼の放送で流したくて放送部に入る。さらに部活の先輩に引っ張り込まれ、文化祭の実行委員会に関わることになる。

勉強は・・・^^;な状態に。

それでも3年になってからは挽回しようと勉強。母子家庭でもせめて短大は卒業させたいと考えていた母に4年制に行きたいと無茶を言ってしまう。「これからは女子は短大という時代ではなくなる」「大学の選び方次第では学費もトータルで言えば4年制も短大もトントンになる」等、進路指導の先生の口添えもあって、母を説得し大学進学を決意。 当時は第2次ベビーブームの受験ということで、浪人が当たり前だったご時世の中、無事、某大学の社会福祉学科に合格。 高校の先生たちには「お前が現役で合格するとは思わんかった!!」と言われる(失礼な!)

<当時のハマりもの>

やっぱり好きだったJ-POP。BOØWY、米米クラブ、UP-BEAT、バービーボーイズなど。

本もよく読んでいました。永井路子「歴史を騒がせた女たち」をきっかけに歴史上の女性を主人公とした小説にハマる。三浦綾子「細川がラシャ夫人」瀬戸内晴美「中世炎上」「美は乱調にあり」など。

■大学時代

1回生の夏、住み慣れた大阪を離れ、奈良に引っ越し。奈良ライフの始まりです。

某大学の社会福祉学科に入学したものの・・・実は希望の学科ではなく(希望の学科は受験するもすべて不合格)、転科目当てで入学・・・するも転科失敗。そのまま福祉の勉強を続けることに。 それでも勉強すればするなりで興味は持てるようになり、MSW(医療ソーシャルワーカー)の仕事に関心を持ち始める。

理由は、医療福祉は老人・障碍者・児童の枠にとらわれない支援ができ、もともと関心があった女性福祉にも少しは関われると思ったから。

そしてこの時期、就職もこれまた超氷河期時代。とりあえずどこか決めて母に恩返ししなければと、近所の病院の事務に決まりました。

<当時のハマりもの>

学生だったのでたくさん本を読みました。三浦綾子さん「氷点」に深い感銘を受けました。また、日本酒デビューもこのころ。カラオケにもはまりました。当時の十八番⇒プリンセス・プリンセス「OH YEAH!」リンドバーグ「今すぐkiss me」

■就職~社会福祉士合格まで(23歳~29歳)

就職して最初の仕事は、病院の受付&医療事務。

就職して間もなく、中学生の頃から音信不通だった父が急死。 (告別式をきっかけに父の実家との交流が復活。以後1年に一度の割合で遊びに行くようになりました。いくたび季節の野菜をたっぷりいただいて帰ってます。むふ)。

25歳時、当時仲良くしていただいていた非常勤の先生の勧めでMacを買い、インターネットデビュー。ネットで知り合った友人の影響で初めてのサイトを開設。「にゃんこの本棚」というブックレビューのサイトを運営していました。(結婚を機に閉鎖)

26歳時、「このままでいいのか」と思い始め、最初の目標を思い出す。 MSW(医療ソーシャルワーカー)の仕事への夢を再び持ち始めるが、それには今後、資格が必要になるだろうとの見通しで、社会福祉士資格取得の勉強を始め、母校の通信教育部に再入学。 ただし、資格取得には約4週間の実習が必要なため、勤めていた病院は実習がネックとなり、退職。 その後実習も2か所こなし、受験。幸い、一度の受験で合格。

<当時のハマりもの>

小室ファミリーのやたら高い声の曲を歌うのが好きでした。当時の十八番は華原朋美の「I BELIEVE」。

また、松本侑子、堀田あけみ、姫野カオルコ、桜井亜美の作品を読み始めました。

■相談員デビュー後~結婚まで(29歳~32歳)

しかし理想と現実は違い・・・資格取得後は勤務先を転々としながらMSWやPSW(精神保健ソーシャルワーカー)などとして勤務(民間の一般病院2か所・民間の精神病院・公立の大学病院)。

恋愛はさっぱりで、愛されすぎると逃げたくなり、ほったらかされるとさみしくなる。バランスが取れず、また結婚にも結び付かないまま付き合ったり別れたりを繰り返す。

そんななか、精神病院勤務中に、ほどよい距離感でいごこちのいい人に出会う。 社会福祉士の勉強会で出会ったぐりーんという人(爆)

その人は酒盛りの最中に「阪神優勝したら結婚しよう」と言いました。

私「優勝なんかせぇへんわ。弱いやん阪神」

ぐ「あほかー。今年の阪神はいつもと違うぞ」

ちなみにこの年は2004年。星野阪神がリーグ優勝した年。ホントに優勝しました。

そして本当に私らもその翌年に結婚しました。

今の夫に出会った直後、精神病院から地元の大学病院に転職。 そこでは、産婦人科・小児科担当のMSWとなる。産婦人科や小児科の抱える様々な問題点に直面することとなりました(妊婦の飛び込み出産なんて当時からザラでした^^;)。→ここでの経験が、「FruitsBasket妊娠・出産・育児」に生きている部分もアリ。

<当時のハマりもの>

アジア映画が好きでした。特に中国・韓国映画。「さらば、わが愛」「始皇帝暗殺」「シュリ」「イルマーレ」など。韓流にハマるのがちょっと早すぎたね(笑)

また、肩こり対策&ストレス解消&ダイエットを兼ねて、ボクササイズを習い始めました。

■結婚・出産~そして今(32歳~)

運命と言う言い方は好きではないけど、思えば吸い寄せられるように福祉分野に進んで行ったのは、たぶん夫に出会うためだったのかな~と振り返ってみて思いました。

つーことで出会って一年後、阪神優勝を見届けて32歳で結婚。

ちょうどこのころにブログ「日常の記録」(その後「にゃんこ一家の日常の記録」となり、このサイトに統合)を開設しました。

あとはこのサイトに書かれていますが一応サラッと。

新婚一年足らずぐらいで第一子を妊娠。別に開設していたサイトにたまたま載せた妊娠体験記のアクセスが妙に好調になったので、このサイト「FruitsBasket」を開設しました。開設直後の2005年9月に第一子ぷちぐり誕生。

が・・家計が苦しくなったのでぷちぐり1歳半ごろにパートに出ることに。

2008年5月にみにぐり妊娠→翌年1月に出産。 おそらく子どもは2人だろうと思っていたら思いがけず(爆)妊娠、第三子まめにゃん出産。

そして念願のマイホームを購入し、現在は夫・3人の子供に囲まれて楽しく暮らしています。

子どもたちはそれぞれやんちゃで(別名怪獣に魔人・・・)、イラッとくること多々ですが、 「子どもたちにいい思い出を作ってあげることも親の仕事」をモットーに、日々を楽しく過ごせるようにしたいなと思っています。 できれば、怒りにまかせて叱ってしまうことがないようにしたいけれど・・・なかなか・・・^^;

■今までの自分を振り返って、これからしたいこと■

諸事情で深く突っ込めませんでしたが、実はけっこうシンドい思春期を過ごしました。

それでも自暴自棄にならず、夢をもちながら前向きに自分を大切にし続けることができたのは、振り返って思えば幼少期に両親や親族に可愛がって育ててもらったからではないかと思います。 両親は毎日忙しく、ほったらかしだったこともけっこうあったけれども(爆)、それでも両親なりに「ここだけは!」のこだわりを持ちつつ、愛情をかけてくれていたのだと改めて思いました。

私も母になった今、母として至らないところもたっくさんありますが、「ここだけは」のこだわりを大事にしつつ、子どもたちと接していこうと日々思っています。

私のこだわり

・季節の行事を大切にする。四季の楽しみを子どもに伝える。

・朝の登校タイムは家にいる家族全員でお見送り。

これらの積み重ねが子どもたちの思い出と支えになって、心の支えになるものをしっかりと持てる子になってほしいと願います。

そして人生の試練に負けるなよ!と伝えたいです。

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