今日は8月6日。
月並みですが今日は広島の話を書くことにします。
広島の原爆の話を初めて知った時
私が最初に原爆のことを知ったのは小学3年の頃。長男ぷちぐりより一学年上の時でした。
大阪の小学校では当時(今はどうかな?)道徳の副読本として「にんげん」という冊子が配られていました。
新しい教科書や副読本が配られるとうれしくて、ペラペラとめくってみていたらなんかすごくショッキングな挿絵の話が。
タイトルは「ピカドン」
正確な話は忘れてしまいましたが、急に空がピカッと光ったかと思うとものすごい爆風で飛ばされて、気づけば家はぐちゃぐちゃ、入浴中のおじいさんはつぶれた家に下敷きに。ある人は体中がものすごいやけど。熱くてたまらないので川に逃げて水を飲もうとすると、先に水を飲んだ人が苦しみだして亡くなって・・・。
川べりも道も死体の山、山、山。
当時すごく衝撃的で、心が苦しくなった記憶があります。
これについて詳しい話が知りたい、いつ授業でするんだろうと思っていたけれど、3年生の間には授業でそんな話は全く触れずでした。
その後高学年になると、課外授業で「はだしのゲン」の映画を見たり、広島の話について触れる機会が増え始めました。
原爆資料館に行く
時は流れ、大学3年の時に広島へ一人旅に行きました。そこで広島原爆資料館に入りました。
入館してすぐにある、被害に遭われた人のマネキンをみてまたショックを受けました。
資料館は、夏休みのレポートのテーマにしていることもあってじっくり見て廻りました。
原爆は熱線、爆風、放射能の3つにより、人間に対して激しくダメージを与えました。被害は激しいやけどはもちろん、爆風によって飛ばされたり、飛ばされたガラスの破片は体中に刺さり、何年たっても体の中から出てきたりすることもあるという話もあります。そして恐ろしいのは、影だけ残って本人は身体ごと消滅してしまったという人もいるということ。そして放射能の被害によってさまざまな病気を引き起こし、70年近くたっても苦しんでいる人がいるということ。
アメリカがなぜ原爆を落としたのか?諸説いろいろありますが、いずれにしても大きなダメージを与えて「勝ち」に導こうとしたことはゆるぎない事実。
そして、国が勝ち負けにこだわるようになった原因は、戦争。
戦争を国同士の問題解決の手段にしてはならない・・・ということを、戦争の話をするたび思うようになりました。
そして、それを子どもたちにも伝えたい。
そんな思いを抱えつつ、毎年この時期になると子どもたちに戦争の話をしてしまいます。
広島関連の作品
はだしのゲン
|
原作者の中沢啓治さんが今年、亡くなられました。
原作の漫画もおすすめですが、このドラマはかなり良質なドラマなのでこちらをお勧めします。子役の演技に思わず涙しました。
涙そうそう広島~昭和20年8月6日
|
こちらはラストにショックを受けました。資料館で見た話がここでも。熱線、爆風、放射能・・・これらの被害のすさまじさを感じてしまいました。
そして先日、別記事で少し登場したこの絵本。
ひろしまのピカ
ひろしまのピカ | ||||
|
たまたま、伯母の通院に付き合って待合室にいたらなぜかこの絵本がありました。
正直、病院でこの絵本を子どもに読ませたら怖がらないかな?なんて思ってしまいましたが。。。
最後に「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」まさにそうですよね。
(でも、副読本に載っていた「ピカドン」にもこのセリフがあったですが、お話は別物のようです。教科書用にリメイクしていたのかな?謎)
最後に、広島そして長崎で原爆被害に遭われて亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、今も原爆症で苦しんでおられる方に心よりお見舞い申し上げたいと思います。
コメント